背景画像は,鶴崎亜紀子様のコラージュ作品「照明スタンド: Lighting stand」です。
Movie: 灰路(haiji)様
投壜通信とは聞き慣れない言葉ですが,
ー手紙が入ったガラス瓶(壜)が浜辺に流れ着くー
そんな光景をご想像ください。
映画化もされた『Message in a Bottle(メッセージ・イン・ア・ボトル)』という米国のベストセラー小説もありましたね。
なお,詩の世界における意義としては,欄外の注1をご覧ください。
さて,本曲はこれまでに公開してきたオリジナル曲とは,少々事情が異なります。
Webの海に投稿されて漂い,時を経て私の岸辺に辿り着いたとある物語へのファンアートなのです。
製作の経緯は次のとおりです。
2020年5月末,恐る恐るTwitterを始めたばかりの頃,幾つかの「いいね」をいただきました。
とても嬉しかったです。
その中のお一人が,園田樹乃さんという方。
当時は存じ上げなかった小説家さんでした。
そのお返しにといってはなんですが,一二三文庫から発売されていたスローなラブストーリー『名前のない喫茶店』(2019年)を取り寄せて読んでみました。
すると,「織音籠(オリオンケージ)」というロックバンドの演奏シーンがありました。
神戸出身のドラマーであるYUKI(ユキ)が,阪神・淡路大震災(1995.1.17)が起きた1月に行うライブ限定で,オーディエンスが『レクイエム(鎮魂歌)』と呼ぶ曲を歌います。
そして,演奏が終わった後,「明日の朝が来る保証はどこにもないから,先延ばししていることがあったら,ためらわずに行動して後悔しないでほしい。」旨語りかけるのです(193-194pほか)。
音楽好きとしては,何かしらそのパフォーマンスが見え聴こえする気がして,園田先生に差し上げるファンアートとして,『レクイエム』を音源化してみたいと思いました。
さらに織音籠に関する物語が,日本最大級の小説投稿サイト「小説家になろう」で展開されていました(注2 その中で書籍化されたのが『名前のない喫茶店』です。)。
メンバーや関係者たちのおよそ60年間にも及ぶ年代記(クロニクル)です。
まずは,これらを読まずには進められないと思い,「織音籠クロニクル」の世界を横断するため,せっせとPDFデータをプリントアウトして読み込みました(注3)。
それによって,「レクイエム」が誕生した背景事情を知ることとなりましたが,震災に関わる軽々しくはない内容であったことから,当事者でもない私がおいそれとYUKIの心情を代弁することは許されないし,仮に作ったとしても表面的な綺麗ごとになってしまうと痛感し,音源化することは断念しました。
ただし,その一方で,私が携わっても許されるのではないかと思われる場面がありました。
それは,YUKIが自分の居場所をめぐって迷子のようになってしまうお話です(YUKI視点の『透き通る彩り』,YUKIの彼女の悦ちゃん視点の『迷子の居場所』)。
ひょっとすると,私のオリジナル曲『この街は道標』のライナーノーツにもありますように,自分の故郷がどこなのかよくわからない私には,この「居場所」や「迷子」というキーワードがどうにも気に掛かったのかもしれません。
神戸で生まれ育ったYUKIは,いつからか「俺の居場所はここじゃない」と思い始め,大学進学を機に「楠姫城(くすきのじょう)」という都市に移り住み,そこで織音籠に加入します。
ところが,震災に見舞われた神戸に戻った際,あの日に臨場していなかったことへの罪悪感から,街に責められているかのように思ってしまい,呻吟し始めるのです。
でもそれは,詮無いことです。
CDカバーの裏面に引用させていただいたのは,悦ちゃんが「誰も責めたりしていないよ」と,神戸から戻って焦燥しきって眠っているYUKIに寄り添う場面(『迷子の居場所』18部『大きな”震”の災い』)。
その1枚絵のような光景は,とてもおごそかで神聖なものに映りました。
そして,悦ちゃんの想いは,物言わない神戸の街の声でもあるのではと思いました。
だって,神戸の街はずっと見守ってきたはずです。
YUKIが生まれて街の子になった日のことを。
その成長の日々や,居場所をめぐって葛藤し始めた様子を。
さらにYUKIが街を出た後の前途を。
そこで,上記の場面において,苦しむYUKIを見かねて付いてきた神戸の街のひと欠片が,悦ちゃんの体を借りてYUKIの呪縛を解こうと語りかけるという裏話的なシーンを想い重ねたのです。
このような事情から,神戸の街を母親のように見立てて,次の構成の詞を書きました。
あの震災があったのは,YUKIが27,8歳頃の設定のようですので,神戸の街からすると,YUKIが生まれてから30年近くにわたるストーリーとなります。
①生まれたYUKIを街の子として迎える。
②居場所を求めて葛藤するYUKIを見守りつつ,新しい街に送り出す。
③震災後のYUKIとの再会。
④呪縛を解こうとYUKIに語り掛ける。
⑤YUKIが居場所を見つけたことと,神戸の街の子であることに変わりないことへの言祝ぎ。
タイトルの『Sanctuary(サンクチュアリー)』には,「聖域」や「避難所」,「庇護」といった意味があるそうです。
YUKIが見つけた居場所はまさに聖域なのでしょうし,YUKIを見守り続ける故郷の街の姿にも通じると思いました。
CDカバーの表面には,羅針盤が神戸と楠姫城の二つの街を繋ぐ様をあしらってみました。
ピアニストのREN様とシンガーの夕季森灯様は,物語の前に出すぎない劇伴のように,静かに,でも確かに寄り添ってくださいました。
さあ,この瞬間にも,小説やイラスト,写真,動画,音楽,ハンドメイドなどなど,あらゆる表現者の皆さん方が作品を投じ続けています。
その想いを推し量ると,私にはその営みが冒頭の投壜通信のイメージと重なって仕方ありません。
でも残念ながら,作品の全てが漏れなく誰かの手元に届くことは叶わないことです。
けれども,たとえそうであっても作品を投げ続けずにはいられない・・・
だからこそ,限られた人生の中,どっぷりと浸かれるような作品と出会えることは,とてつもない僥倖といえそうです。
どうか,どこかの誰かさんの思い入れのある作品が,無事に別の誰かさんの手元に辿り着きますように。
(織音籠クロニクルファンの先輩の皆様方へ)
新参のどうにも浅い読み手である上,故郷に関する個人的な想いもあり,物語の正統な意図を汲みとれていない点もあるかと思いますが,どうか大目に見ていただけますと幸いです。
そして,ぜひどなた様か,未完のファンアート『レクイエム』を引き継いでいただけると嬉しいです。
(園田樹乃先生へ)
2016年7月に『名前のない喫茶店』を投げ終えられてから約4年。
2020年にようやく,「織音籠クロニクル」が詰まった瓶が私の元に辿り着いたことをご報告いたします。
それはまるで,羅針盤のごとき「いいね」の声に呼ばれた(Calling)ようでもあり。
(注1)
「手紙を壜に詰めて,硬い栓をして海に投じるあの振る舞いだが,私たちがたとえば小学生のときに海辺で行なったかもしれないような,牧歌的な行為ではない。(中略)何よりもそれは,難破船の船乗りが,船が沈没してゆくぎりぎりの瞬間に家族や恋人や知人たちに宛てて行ってきたかもしれない,伝説的な振る舞いである。もちろん,その壜がどこかの岸辺にたどり着き,誰かがそれを拾いあげ,宛名にきちんと届けてくれる・・・などという可能性は,万にひとつもないだろう。しかし,やがて自分が海の藻屑と化してゆくことが明らかなとき,私たちはほかにいったい何ができるだろう?」(細見和之『{投壜通信」の詩人たちー(詩の危機)からホロコーストへ』v「はじめに」 2018年 岩波書店)
(注2 2021年1月1日現在)
小説掲載数782,296作品,登録ユーザ数1,967,664人
(注3 2020年7月16日のツイート)
最終的にPDF(タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト)の総ページ数は3500超え。4アップのA4用紙900枚近くを印刷。それらをもくもくと手で二つ折り。一連の作業の手間を考えると,実は市販の本の値段って意外に安いんじゃないかと感じることしきり。「音織籠(ほぼ)全集」できあがり。
おやおや
新たな子どもがひとり
この街にようこそ
泣いて笑って怒ってきみは
この街の色に染まる
おやおや
居場所を探しているの
ここじゃないどこかを
ならばお行きよ
呼ばれたならば
うしろめたさはいらない
ここじゃないどこか
わからないけど
ないものねだりのような日々が
耳を捕まえる
足を急かせる
どこか どこか どこか
おやおや
泣いて歩く子がひとり
会いにきてくれたの
今のわたしには日付もなくて
少し休みたいところ
後悔の網に絡みとられて
きみは見えていないけれど
やがて来る景色
探してただけ
いいよ いいよ いいよ
きみが決めていいよ
ただいまの灯り
きみだから灯せる光
あの日渡した街の鍵
どうか忘れないでいてね
ああ
ただいま
ただいま
ただいま
ただいま